(写真は上段左から林みどり氏、右は井上あえか氏、中段左は和栗了氏、右は小林敦子氏、下段左はシンポジウムの様子、右は質疑応答の様子)
2017年3月4日(土)13:00~ 本学S101教室において、吉備地方文化研究所主催シンポジウム「人文知のトポスII ―人の移動・文化・精神」が行われた。
基調講演者として、林みどり氏(立教大学文学部教授)をお迎えし、本学人文科学部3学科に属する研究所員が研究発表をおこなった。基調講演「侵犯と創造―近代文学は移動をどのように描いてきたか」の要旨は以下のとおりである。
人類の誕生以来、移動は人間の生の一部を構成してきた。にもかかわらず、伝統的な学問は「人の移動」を排除してきた。人文・社会科学を長らく支配してきたこの定住的思考は、近代に特有な知覚の変容に起因する。近代技術がもたらした時間・空間認識の均質化は、空間の没意味化と置換可能性をもたらし、没意味化した場所に意味を充填する欲望を喚起し、〈あそこ〉とは異なる〈ここ/わたし/我々〉の存在論の探究を促してきたのだ。移動的思考は、ナショナリスティックな存在論の地平から場所の思考を解放し、生きられた場に送りかえすことを目指すものである。
基調講演に続いて、アジア史研究の立場から、人文科学部総合歴史学科の井上あえか氏が、「インド・パキスタン分離独立と住民の移動:動乱文学を題材として」と題し、南アジア近現代史におけるインド・パキスタン分離独立の意味を、移動せざるをえなかった人々の視点から再検討する必要と、その際に史料としての文学作品をつうじて獲得できる視点について述べた。
アメリカ文学研究からは、人文科学部実践英語学科の和栗了氏が「マーク・トウェインにおける移動の終着点はどこか?」と題し、作家の生涯の旅の軌跡を、その内面的な変遷に重ねてたどり、移動によってその作品の中にアメリカが取り込まれていった過程が明示的にあとづけられた。
日本文学研究からは、人文科学部表現文化学科の小林敦子氏が、「近代日本文学者の漂白:流浪と日本人」と題し、高見順、折口信夫らを例に、近代日本文学者に共通する「漂白」と「故郷喪失」の精神を指摘し、さらに「北海道文学」にみられる近代的「越境」との近似性を指摘した上で、弁証法的にやがて「国家」に至る「個我の旅」と括ることのできない、目的のない文学者の旅があるとして、「日本」という精神性と「国家」との間の断絶を問題として提起した。
その後、人文科学部表現文化学科の土井通弘氏の司会により、シンポジウムが行われた。
土井氏の多彩な問題提起により、フロアの人文科学部教員を中心に多くの発言が引き出され、パネラーとの間で活発な議論となった。聴講者が30名足らずにとどまったことは、今後、テーマの設定や広報という点で課題を残すものであったが、岡山から普遍的なテーマで発信していくということに意義があるとの確信を新たにすることができた。なお、研究所員3人が発表したテーマは、引き続き来年度に研究を進める計画となっている。