川崎剛志 教授(学科長・日本文学)
他者の顔を直視していますか。自分の顔を他者にさらしていますか。表現とは人と人との間を行き来するものです。他者のことば(文学作品をも含めて)を記号として読み取る目とともに、その息づかいを聴き取る耳を持ちましょう。それが自分のことばを育てるための第一歩だと考えます。
松尾直昭 教授(日本文学)
昨年度、印象に残った学生の卒業研究は、向田邦子の『あうん』論と『阿修羅のごとく』研究と、吉本ばななの『キッチン』分析でした。前者2人は、人間関係のなかで黒白をはっきりさせずに流れに任せて、関係を危ういながら維持している、向田さんの大人の世界をがっちり捉えて、みごとに説明しています。一方後者は、強烈には自分を主張せず、隠れた思いやりで、関係を温めてゆくおんなの子の感性を取り出していました。
それぞれの学生の感性が、作家の感性とよくシンクロしていました。作品との出会いがあったのでしょう。
あなた方の若い感性は、どの作品に対して共鳴しているのでしょうか。その共鳴の内容をつかみ出して、表現してみませんか。お手伝いをしますよ。
岡部由文 教授(日本文学)
古典文学というだけで拒否的な感覚を持ってしまう学生が少なからずいるでしょう。そんな学生には少し視点移動を勧めます。古典から歴史的表現へ、文学からこころの観察へ、といった具合です。歴史的表現への理解を深めることは、現代的表現のありようを練磨することになるでしょう。こころの観察は自身の人間的あり方を考える契機を与えることでしょう。
表現とこころの修練によって、人間的魅力度を高めるのがめざすところです。
井上啓治 教授(日本文学)
江戸文化は楽しいです。日本国民のほとんどが読んだことも見たこともない面白い小説や、不思議で美しく素敵な美術作品。どれも日本人の国民遺産なんです。ぜひ触れてほしい。知っただけで世界が変わります。絵を描くのが上手か下手かは一切かんけいない。感じますよ。ぶんせきするともっと面白いですよ。分析技術は教えますよ。八犬伝も稲妻表紙も名前だけ知っている小説でしょうが、面白く、奥深くて、我々現代日本人の直接のご先祖様である江戸人のことを好きになりますよ。
中﨑崇 准教授(日本語学)
多くの学生にとって日本語は母語であり、何の問題もなく使うことができます。例えば、「お姉ちゃんが帰って来たら、すぐピアノの練習だ」と「お姉ちゃんは帰って来たら、すぐピアノの練習だ」の2つの文が違うことやどのように違うかは知っていると思います。しかし、どうして違うのかを説明しろと言われたらどうでしょうか。実は言語を使える、知っているということは、必ずしも言語が分かっているということを意味しないのです。日本語に関する知っているけど分からないことを、一緒に科学的に解明していきませんか。
岩田美穂 講師(日本語学)
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」誰でも一度は目にしたことのある『枕草子』の一節です。『枕草子』は平安時代の文献ですが、ここに書かれている言葉は、当時の平安京の貴族たち(女性)が実際に話していた言葉に非常に近いものだろうと言われています。つまり、『枕草子』の言葉は今の関西弁の御先祖さまのような存在です。現代で耳にする関西弁とは大きく違いますね。しかし全く違うかというとそうではなく、現代でも使われている言葉もあります。いつ現代語のように変わったのでしょうか?なぜ、変わったのでしょうか?あるいは変わらなかったのでしょうか?言葉の歴史は、不思議なことだらけです。目くるめく言葉の歴史―その深淵を一緒に楽しみましょう。
小林敦子 准教授(表現創造)
言葉というのは難しいものです。誤って伝わったり、予想を超えた動きをしたり、言葉に裏切られた思いをした人も多いでしょう。けれど言葉は必ず「ほんとうのこと」につながります。作家と呼ばれる人たちは、そのすべてを言葉の力に賭けたのです。皆さんは生きていく中で、弱った言葉に出会うことの方が多いかも知れません。しかし言葉に失望してはいけません。言葉を信じてください。言葉の本来の力を知り、その強さを受け止めること、それが現代の私たちには必要なのです。
松本潤一郎 准教授(表現創造)
言葉には お金に似たところがあります かつて お金をなくそうと考えた人がいました お金には必要以上のものを招いてしまったり 逆に必要以下のものしかもらえない人をうみだす性質があるからです 言葉にも 一言多かったせいで傷つけてしまったり 言葉が足りなかったせいで誤解が生じたり といった事態が起きます それでは言葉をなくすことができるでしょうか 言葉にはべつの面もあります 預言という言葉があります たいせつなものを預かって のちに生まれる人に伝えてゆく言葉です 預金という言葉があるように 言葉には預かるという役目もあるわけです あなたの預言はなんでしょう 教えていただければ幸甚です
岡本悦子 教授(表現創造)
洋画家でもあり随筆家でもある中川一政は『腹の虫』の中でこう述べています。
「教えられ、人から食物をもらうのは家畜だ。自ら原野に出て獲物をあさるに、時には命を賭けねばならぬ。独学は教わればわけのないことにもいちいち苦労しなければならぬ。しかし、いちいち苦労して得るものが身についてくる。」
私は教えられるほどのものをもっていない。だから、ひたすら皆さんが獲物をあさるのに付き合います。一緒にあさって、私も得たいと思います。
土井通弘 教授(関連科目)
私たちは日常生活の中で、絶えず何かを造り出している。その観点から言えば、生きることは何かを造ることであるとも言えそうである。授業では、かつて感銘を受けた美術作品や文化をテーマにして、人間にとって、“造形とはなにか”またその文化を一緒に考えていきたい。
浅利尚民 准教授(関連科目)
博物館や美術館には、人間の営んできた文化的な活動によって育まれた文化財が所蔵されています。それらがどのように作られ、伝えられてきたのかを学ぶことは、古来からの人々の活動そのものを知ることになります。日本の文化や美術、博物館学を学びながら、モノが伝えられてきたことの意味を一緒に考えてみませんか。
中西裕 教授(関連科目)
いまやコンピュータは完全に表現ツールとしての地位を確立しました。そしてそれがネットワークと接続されることによってメディアとなります。コンピュータを駆使することで、文字、画像、音声、動画像を総合した表現が個人でもできるようになりました。表現に関わろうとするみなさんは、ぜひコンピュータの可能性にも触れてみてください。
「たかが技術」などと馬鹿にしてはいけません。テクノロジーはみなさんの人生の可能性を広げる魔法です。
中西研究室ホームページ(学外)