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公開学術講演会(史学会主催)

史学会主催 清水克行氏講演会 2017年11月18日

2017年11月18日(土)13:30~ E402教室において、総合歴史学科(史学会)の学術講演会が開催されました。

 

今回は、清水克行氏(明治大学商学部教授)による「分国法からみた戦国時代」です。すでに多くの著作を公刊され、また最近では歴史系のテレビ番組にも出演されている先生です。

 

講演は、戦国大名としては決して著名ではない、結城政勝の筆による「結城氏新法度」を詳細に読みながら、戦国時代の実態を探るという内容でした。

 

戦国大名の理想像はむしろ江戸時代になって形成されたものであることを話の枕として、お話が進んでいきます。明らかになってきたのは、戦国大名が決して強権的・絶対的な存在ではなく、勝手気ままな家臣たちに振り回され、それに愚痴や恨み言を述べることもあるという現実でした。この時代の武士が品行方正ではなく、自分の利益獲得に血まなこになっていたこと、それを何とか大名が統制しようとしていたこと、しかしその統制はうまく行かなかったこと、など厳しい実態が指摘されました。

江戸時代の武士と中世の武士とでは、まったく性格が異なることや、管理職として部下の統制に腐心する戦国大名の「トホホな現実」を知り、この時代の「一筋縄では行かない」複雑さが良く理解できました。

文責:苅米一志

 

 


史学会主催 李永植氏講演「朝鮮半島の伽耶王国と吉備王国」:2016年12月10日

就実大学史学会では、2016年12月10日(土)、S館の110周年記念館において「朝鮮半島の伽耶王国と吉備王国」と題とした公開学術講演会を開催しました。講師は、李永植(イ ヨンシク)仁済大学校歴史考古学科教授(仁済大学校博物館館長)でした。李教授は一九九一年、早稲田大学大学院(日本古代史専攻・・・論文『加耶諸国と任那日本府』により文学博士号取得)を修了され、伽耶諸国の歴史がご専門で、韓国の古代史及び伽耶王国と倭国の交流史研究の第一人者です。伽耶は、紀元前後から六五二年にかけて朝鮮半島の中南部(洛東江流域)を中心として散在していた小国家群を指し、当時の日本と最も密接な交流関係がありました。


近年、韓国の古代史研究における顕著な成果があったのが、伽耶諸国史です。『日本書記』などの文献研究とともに、発掘調査を通した考古学の研究成果によって伽耶の歴史的な復元が可能になりました。今回のご公演は、従来の研究史を踏まえながら、吉備における「カラ」、「カヤ」と「アヤ」、加耶に関わった吉備氏、任那日本府、吉備の加耶系文化、吉備臣の活動と加耶諸国、カマドと温羅伝承などについての研究成果を提示したものです。今まで吉備と伽耶の交流史は、吉備地域における伽耶文化の確認と解釈に重点が置かれていましたが、今回のご講演は伽耶地域における倭国関連の遺跡や遺物を紹介し、新しい観点から吉備と伽耶の交流史の実態を試みたものでした。

以下は、講演後回収した聴講者の「感想」の一部です。

「伽耶とは加羅から由来する言葉であることを知った。日本から近いため、日本列島が最初に意識した外国が伽耶であったことを聞き、伽耶王国に親近感を感じた。日本府は伽耶日本府と安羅日本府の二つがあり、日本府は倭の使いであって、吉備の臣は大和政権によって伽耶に派遣された使者であったという話は興味深かった。」

「講演の内容に関して、私が教科書で学んだ伽耶の歴史はとても簡略で、今日の講演で伽耶の歴史を深く、詳しく知ることができました。図と写真の紹介があって、わかりやすくてよかったです。当時は夜の宴会になると通訳がいなくても通じ合っていたのではないという[聴講者からの質問に対する李教授の]返答がとても面白いと感じました。」

「岡山と朝鮮半島に歴史的な関わりがあるというのは聞いたことがあったが、詳しく知らなかったので勉強になった。吉備氏が伽耶出身の加夜(賀陽)氏の子孫であり、外交のために伽耶に派遣されたというのが興味深かった。文化の面でも吉備と伽耶に似たところがあるというのが面白かった。特に、カマドと温羅伝説についてはもう少し詳しく聞きたかった。」

(文責:賈)

 



 

史学会主催 踊共二氏講演会「山の表象文化論 ― アルプスはいつから美しいか」:2015年12月12日

 

就実大学史学会では、2015年12月12日(土)に「山の表象文化論 ― アルプスはいつから美しいか」と題した公開学術講演会を開催しました。講師は、踊 共二(おどり・ともじ)武蔵大学人文学部教授(人文学部長)でした。踊先生はヨーロッパの宗教改革とスイス史がご専門であり、日本の西洋史学界を牽引する代表的研究者のお一人です。

 

今回のご講演は、中世以来、危険で陰鬱な場所とされてきた山岳(具体的にはアルプス)が、啓蒙主義やロマン主義以降、崇高なもの、美しいものとして描かれ るようになったとする旧来の説明に対し、①中世やルネサンスの絵画にも山の聖性や美しさを描いたものがあること、②啓蒙主義やロマン主義の担い手たちは、実は海洋文明や都市文明を進歩の基準としており、山の暮らしを遅れた世界とみていたこと等を指摘し、より正確でニュアンスに富んだ山岳イメージの変遷を提示しようとしたものでした。また、論拠として次々に紹介される西洋名画(ヤン・ファン・エイク、ダ・ヴィンチ、ヴォルフ、ターナー、カラム、セガンティーニなど)にも思わず目を奪われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聴講者は、本学教員のほか、一般の方が10名余り、そして学生が90名弱でした。講演終了後に回収した多数の「感想」の中から、ごく一部を取り出して紹介しておきましょう。

 

  • 「山がテーマと聞いて、最初はあまり興味が湧かなかったけれど、実際に講演を聴いてみたらとてもおもしろかった。絵からその時代の考え方が読み取れることに驚いた。」
  • 「今までスイスについては、観光についてか、傭兵についてかぐらいしか聞いたことがなかったので、今日のお話はとても新鮮だった。」
  • 「絵画を観るとき、ついその絵の主題ばかり観てしまいがちなので、今回のように背景(山岳)に焦点を当てて分析することは目新しく感じた。中世の人々が山を恐ろしいものと考えていたらしいということも、マテューの「三次元(海洋・平地の都市・山岳)の歴史」という提案も、目からウロコだった。時折冗談も交えられていて、最後まで楽しく聴くことができた。」
  • 「前近代の絵画に描かれたアルプスに美しいものはないと言われていることに驚いた。《シェレネン峡谷の悪魔の橋》がその名を表しているかのような色彩やタッチで、その様子がよく伝わった。絵画から読み解く形だったため、終始楽しく聴くことができた。内容の組み立て方など、勉強になる部分がたくさんあり、来てよかったと思った。」
(櫻田 記)

 

 


 

 

考古学クラブ・史学会共催 黒川正剛氏講演「魔女狩り ― 図像から探る近世ヨーロッパの闇の世界」


本年度大学祭2日目の2015年10月25日(日)に、「魔女狩り ― 図像から探る近世ヨーロッパの闇の世界」と題した講演会を、考古学クラブと就実大学史学会との共催で開催しました。講師は、現在わが国の「魔女狩り」研究の第一人者である黒川正剛(くろかわ・まさたけ)太成学院大学人間学部教授でした。

 


黒川先生には2009年にも本学にお話に来ていただいたことがあり、今回はそれ以後の先生の精力的なお仕事の成果をふまえた、さらに内容の充実したご講演になりました。魔女とは、異端・ユダヤ人・女性・異教女神・インディオ・民衆文化・貧民といった西洋近世の「負」価値の凝集点だったのだ、という結論部分は、まるでオーケストラのフィナーレを聴いているかのようでした。


聴講者数は100人を超え、考古学クラブとしてはおそらく最高記録の達成です。最後に、講演終了後に回収したアンケートの一部を紹介しておきましょう。


  • 「魔女の源流が幾つも重なり魔女という形になったと知り、もう少し調べてみたいと興味がもてた。少し時間が足りなく感じた。」
  • 「画像資料を用いた説明で、とても分かりやすかったです。当時の様々な要因が複雑につながって、4~5万人もの人が魔女狩りの犠牲になったことにいちばん驚きました。」
  • 「魔女は『魔女の宅急便』などのイメージで、かわいいし、魔法を使えていいなと思っていたけれど、「魔女」をめぐる実態を知ってこわかったです。もっと知りたいと思いました。」等々

(櫻田 記)


 

考古学クラブ・史学会共催 漫画家 大竹直子氏講演会

2014年度も大学祭の中の催しの一つとして、就実大学考古学クラブ主催講演会(就実大学史学会後援)が開催されました。漫画家大竹直子氏をお招きして、『宇喜多氏と岡山の戦国時代』という表題でご講演いただきました。


大竹直子氏は、埼玉県のご出身で現在もそこにお住まいです。1993年、角川書店ファンタジーDX『エステ・DE・西遊記』で漫画家デビューののち、日本の時代・歴史漫画を執筆。確かな時代考証と史料に裏づけられた耽美的な作風に定評があります。大の時代・歴史小説好きでもあり、雑草社『活字倶楽部』にて時代小説を紹介するコラムを11年にわたって連載。現在はリイド社『戦国武将列伝』に読み切りを連載しています。宇喜多家史談会会員でもあります。

 

著作に、宇喜多直家の半生を描いた『阿修羅の契』、『源平紅雪綺譚』、『写楽』(原作=皆川博子)、『秘すれば花』、『しのぶれど』、『百々之助☆変化』(以上 小池書院)、『白の無言(しじま)』(竹書房)、『肉食と草食の日本史』(本郷和人氏、堀田純司氏との共著、中央アート出版)などがあります。


今回のご講演は、なかでも『阿修羅の契』の内容と重なる部分が多く、宇喜多直家とその周辺の魅力的な人物たちに光を当てたものでした。


以下は講演後のアンケートに記された感想の一部です。「後半になるにつれて、新しい史料や細かいエピソードが出てきて面白かった。」(20代)、「楽しそうに話してくださったので嬉しかった。頭によく入ってきました。」(30代)、「いろいろなお話が聞けてよかったです。岡山に住んでいながら、岡山の歴史について知らないことが多く、勉強になりました。大変有難うございました。」(50代)、「大変良かった(講師が良かった)!! 」(60代)等々。

 

(文責:櫻田)



史学会主催 学術講演会 「日本史学の地平を読みとく ―日本特殊論を超えて―」

本学科の前身である史学科創設30周年を記念して、2014年10月11日(日)に「日本史学の地平を読みとく ―日本特殊論を超えて―」というテーマで、佐藤文子氏(佛教大学非常勤講師)吉田一彦氏(名古屋市立大学教授)をお招きして、公開学術講演をおこないました。専門的かつ大きなテーマながら、一般の方々も相応にお集まりいただき、反応も上々でした。講演の内容を以下に紹介します。

 

今回の講演会のテーマは、日本史研究者はじめ一般に敷衍している「日本の歴史は常に東アジアのなかで特別なものだった」という認識の克服です。そもそも顧みれば日本は、ほぼすべての分野において、多くを海外に依存してきました。そうした日本の歴史が、常に他の東アジア諸国と異なる特殊なものだったというのは不自然なものです。実際、近年の研究では、安易に日本の特殊性に結び付ける議論への反省が始まっています。

 

今回の講演が取り上げたのは、こうしたなかで浮上して来た、さらに根の深い問題です。それは、この認識と同根でありながら、客観的説明のごとくに用いられてきた用語の存在です。本講演で取り上げた、奈良仏教を説明する用語としての「国家仏教」、そして平安中期文化を説明する用語としての「国風文化」は、そうした危険な用語の代表なのです。


実態を見る限り、奈良仏教イコール日本独自の「国家仏教」ではありません。また「国風文化」とされる現象も、ほとんどは中国の影響下にあり、純日本風文化と呼べる内実ではありません。一般に通用している「国家仏教」「国風文化」に該当する実態は、存在しないのです。

 

しかしてこの用語・概念は、戦前の日本史学界や宗教界における国家主義的主張を背景として胚胎し、戦後それを十分克服できなかった学界において、1950年代に作られました。それは政治的な背景から作られたのです。我々は、こうした用語に依拠した日本史理解(誤解)から脱却していく必要があるでしょう。

 

文責:曾根

 


 

総合歴史学科 講演会 怪異シリーズ 第5弾

2014年5月17日(土)13:00より、本学E402教室にて、赤澤春彦氏(摂南大学)の講演「古代・中世の陰陽道と陰陽師」が行なわれました。

 


講演のはじめに「『陰陽』と書いて何と読むか?」という発問があり、答えは伏せられたまま、その謎を解いていく道筋で講演が進められていきました。

近年の学説では、陰陽道は中国の陰陽五行説を日本が受け止め、消化した上で、平安時代に日本独特の呪術宗教として成立すると言われています。そうした視点を前提として、朝廷における陰陽寮の組織、構成員の役割、社会からの要請などが解説されました。陰陽師には、占いとそれにもとづく意見具申、祓(はらえ)、暦・天文などの役割が期待されており、公的な行事以外にも、貴族の家から要請されて、こうした仕事にたずさわることがありました。さらに鎌倉時代になると、鎌倉幕府に出向する陰陽師もあり、その人数は爆発的に増加します。しかし、室町時代には、陰陽道をつかさどる家系は限られてくる傾向があり、人数的にも陰陽師は減少していきます。江戸時代には、ごくわずかな人々が公認されるにとどまり、民間陰陽師とよばれる人々が民衆に陰陽道を伝えていくことになります。


「陰陽」は、中国から陰陽五行説が導入された段階では「いんよう」と読みました。日本で陰陽道が成立して以降、室町時代までは「おんよう」と読み、やがて江戸時代に民間陰陽師が活躍する頃には、「おんみょう」と読むようになりました。この読み方には、まさに陰陽道のたどった歴史が凝縮されていること、現代でも陰陽道ブームがあるなど呪術への関心が高いこと、文明社会にあっても呪術宗教から脱却することは極めて難しいこと、などが指摘され、講演は終了しました。


質疑応答の時間では、神仏との関係、陰陽師への報酬、室町時代以降の展開などについての質問が出るなど、熱心に聞いて頂けたことがうかがえました。赤澤春彦氏に御礼を申し上げるとともに、今後も同様な講演会へのご愛顧をお願いしたいと思います。

 

(文責:苅米)

 

 


 

 

史学会主催 公開学術講演会 ~新村容子先生をお迎えして~

 

 

 

 

 

岡山大学大学院教授の新村容子先生を、史学会主催の公開学術講演会にお迎えし、アヘンと近代中国」というテーマでご講演いただきました。先生が長年テーマとしてこられた、中国社会とアヘンをめぐるご研究の一端を、一時間半あまりにわたってお話しいただきました。

学生100名、教員と学外からの参加者が20名ほど、約120名の参加がありました。

 

 

 

 

 

 

アヘン戦争は、従来、イギリス帝国主義が中国にアヘンを輸入させ、対価として大量の銀が中国から流出する事態に、「愛国者」林則徐がアヘン禁輸で対抗したことによって勃発した、という構図で理解されてきました。しかし、実は、林則徐はそれまでアヘン問題に関心をもってきた形跡がなかったといいます。そもそも当時の中国社会におけるアヘンは、上流の人々の高貴な趣味でした。林則徐の関心は、水害にあった人々の救済や、税金、食糧といった民衆的なテーマにおかれていたのです。この矛盾を問題意識の発端として、新村先生のご研究は、当時広州の繁栄を支えたアヘン貿易をつぶす政策の出所を、北京の宮廷に見いだし、若手エリート官僚の黄爵滋にゆきつきます。

 

 

 

アヘン吸煙の習慣は、今日考えるような犯罪的、反社会的なものではなく、社会の中心をなした士大夫層の文化の一つであったことや、16世紀から19世紀における都市の未曾有の繁栄などを背景として、北京の宮廷が、外国人をのさばらせていた広東の官僚の腐敗を罰する意図をもって派遣したのが林則徐であったという事実が、上奏文、書簡、詩を史料として実証されました。教科書的な歴史を離れ、史料に沈潜する醍醐味を実感するご講演でした。また、誰にもわかりやすく配慮の行き届いたお話しぶりにも、深く感銘を受けました。

 

 

 

 

30分あまりの質疑応答時間には、切れ目なく建設的な質問が出されました。たとえば同じ時代の日本で、アヘン吸引が広まらなかったのはなぜか、という質問から「文」の中国と「武」の日本、あるいは華やかな都市文化の中国と、質素な日本文化との対比など、お話は広がりました。なお、本講演会のテーマとなった先生のご研究は、2014年1月に『アヘン戦争の起源 黄爵滋と彼のネットワーク』(汲古書院)として上梓される予定です。

 

(文責・井上あえか)

 


考古学クラブ主催 森本基嗣氏講演「戦国山城探訪(キャッスリング)の魅力について」

 

大学祭期間中2013年10月26日午後2時から、本学考古学クラブ主催による森本基嗣(もりもと もとし)氏の講演「戦国山城探訪(キャッスリング)の魅力について」が開催されました。

 

森本氏は、岡山県内を中心に各地の城郭を探訪・調査された成果を三冊の著作にまとめておられ、山城探訪の魅力を長年発信されている方です。当日は一般の方々が約40人、学科生と教員15人ほどが聴講しました。

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森本氏は城郭巡りの魅力として、実際に山へ登り、400~500年前の山城の遺構を探し出し、決死の薮こぎや崖登りをした先にとてつもない遺構を発見したときの喜び、その城の戦略的工夫や当時の縄張りを図面に再現して考察する面白さを指摘され、こうした城郭巡りの楽しみを「キャッスリング」(castle+ing)という造語で表現されています。ここでいう「城」とは、岡山城のような1600年前後に築かれた近世城郭ではなく、日本各地の山々に築かれた中世・戦国時代の城を意味し、現在では土塁や堀が残るだけの遺構が大部分であるといいます。

 

そのように山中に埋もれた城郭を探訪する方法について、森本氏は公的な地図の利用、『日本城郭体系』、『図説中世城郭事典』、『探訪ブックス 城』など、解説書の閲覧が大切ではあるものの、それだけでは麓から山城への登り口がなかなか見つけられず、結局は地元の古老に尋ねるのが最善であると指摘されました。森本氏の著作には、ご自身が苦労された経験を活かして、山城への登り口が分かりやすく解説されています。

 

最後に、山城探訪は登山であり、十分な服装と装備をし、秋から翌年春までの草木の枯れた時期に登ることを勧めるが、狩猟やマツタケの時期は避け、また荒天や降雪の場合はいさぎよく中止すべきであると忠告してくださいました。長年現場に馴れ親しんだ方ならではの、的確でユーモアに富んだご講演でした。

 

(文責:福田)