史学会主催 公開学術講演会 ~新村容子先生をお迎えして~
岡山大学大学院教授の新村容子先生を、史学会主催の公開学術講演会にお迎えし、「アヘンと近代中国」というテーマでご講演いただきました。先生が長年テーマとしてこられた、中国社会とアヘンをめぐるご研究の一端を、一時間半あまりにわたってお話しいただきました。
学生100名、教員と学外からの参加者が20名ほど、約120名の参加がありました。
アヘン戦争は、従来、イギリス帝国主義が中国にアヘンを輸入させ、対価として大量の銀が中国から流出する事態に、「愛国者」林則徐がアヘン禁輸で対抗したことによって勃発した、という構図で理解されてきました。しかし、実は、林則徐はそれまでアヘン問題に関心をもってきた形跡がなかったといいます。そもそも当時の中国社会におけるアヘンは、上流の人々の高貴な趣味でした。林則徐の関心は、水害にあった人々の救済や、税金、食糧といった民衆的なテーマにおかれていたのです。この矛盾を問題意識の発端として、新村先生のご研究は、当時広州の繁栄を支えたアヘン貿易をつぶす政策の出所を、北京の宮廷に見いだし、若手エリート官僚の黄爵滋にゆきつきます。
アヘン吸煙の習慣は、今日考えるような犯罪的、反社会的なものではなく、社会の中心をなした士大夫層の文化の一つであったことや、16世紀から19世紀における都市の未曾有の繁栄などを背景として、北京の宮廷が、外国人をのさばらせていた広東の官僚の腐敗を罰する意図をもって派遣したのが林則徐であったという事実が、上奏文、書簡、詩を史料として実証されました。教科書的な歴史を離れ、史料に沈潜する醍醐味を実感するご講演でした。また、誰にもわかりやすく配慮の行き届いたお話しぶりにも、深く感銘を受けました。
30分あまりの質疑応答時間には、切れ目なく建設的な質問が出されました。たとえば同じ時代の日本で、アヘン吸引が広まらなかったのはなぜか、という質問から「文」の中国と「武」の日本、あるいは華やかな都市文化の中国と、質素な日本文化との対比など、お話は広がりました。なお、本講演会のテーマとなった先生のご研究は、2014年1月に『アヘン戦争の起源 黄爵滋と彼のネットワーク』(汲古書院)として上梓される予定です。
(文責・井上あえか)