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赤澤春彦氏講演「古代・中世の陰陽道と陰陽師」

総合歴史学科 講演会 怪異シリーズ 第5弾

2014年5月17日(土)13:00より、本学E402教室にて、赤澤春彦氏(摂南大学)の講演「古代・中世の陰陽道と陰陽師」が行なわれました。

 


講演のはじめに「『陰陽』と書いて何と読むか?」という発問があり、答えは伏せられたまま、その謎を解いていく道筋で講演が進められていきました。

近年の学説では、陰陽道は中国の陰陽五行説を日本が受け止め、消化した上で、平安時代に日本独特の呪術宗教として成立すると言われています。そうした視点を前提として、朝廷における陰陽寮の組織、構成員の役割、社会からの要請などが解説されました。陰陽師には、占いとそれにもとづく意見具申、祓(はらえ)、暦・天文などの役割が期待されており、公的な行事以外にも、貴族の家から要請されて、こうした仕事にたずさわることがありました。さらに鎌倉時代になると、鎌倉幕府に出向する陰陽師もあり、その人数は爆発的に増加します。しかし、室町時代には、陰陽道をつかさどる家系は限られてくる傾向があり、人数的にも陰陽師は減少していきます。江戸時代には、ごくわずかな人々が公認されるにとどまり、民間陰陽師とよばれる人々が民衆に陰陽道を伝えていくことになります。


「陰陽」は、中国から陰陽五行説が導入された段階では「いんよう」と読みました。日本で陰陽道が成立して以降、室町時代までは「おんよう」と読み、やがて江戸時代に民間陰陽師が活躍する頃には、「おんみょう」と読むようになりました。この読み方には、まさに陰陽道のたどった歴史が凝縮されていること、現代でも陰陽道ブームがあるなど呪術への関心が高いこと、文明社会にあっても呪術宗教から脱却することは極めて難しいこと、などが指摘され、講演は終了しました。


質疑応答の時間では、神仏との関係、陰陽師への報酬、室町時代以降の展開などについての質問が出るなど、熱心に聞いて頂けたことがうかがえました。赤澤春彦氏に御礼を申し上げるとともに、今後も同様な講演会へのご愛顧をお願いしたいと思います。

 

(文責:苅米)