本学科の前身である史学科創設30周年を記念して、2014年10月11日(日)に「日本史学の地平を読みとく ―日本特殊論を超えて―」というテーマで、佐藤文子氏(佛教大学非常勤講師)と吉田一彦氏(名古屋市立大学教授)をお招きして、公開学術講演をおこないました。専門的かつ大きなテーマながら、一般の方々も相応にお集まりいただき、反応も上々でした。講演の内容を以下に紹介します。
今回の講演会のテーマは、日本史研究者はじめ一般に敷衍している「日本の歴史は常に東アジアのなかで特別なものだった」という認識の克服です。そもそも顧みれば日本は、ほぼすべての分野において、多くを海外に依存してきました。そうした日本の歴史が、常に他の東アジア諸国と異なる特殊なものだったというのは不自然なものです。実際、近年の研究では、安易に日本の特殊性に結び付ける議論への反省が始まっています。
今回の講演が取り上げたのは、こうしたなかで浮上して来た、さらに根の深い問題です。それは、この認識と同根でありながら、客観的説明のごとくに用いられてきた用語の存在です。本講演で取り上げた、奈良仏教を説明する用語としての「国家仏教」、そして平安中期文化を説明する用語としての「国風文化」は、そうした危険な用語の代表なのです。
実態を見る限り、奈良仏教イコール日本独自の「国家仏教」ではありません。また「国風文化」とされる現象も、ほとんどは中国の影響下にあり、純日本風文化と呼べる内実ではありません。一般に通用している「国家仏教」「国風文化」に該当する実態は、存在しないのです。
しかしてこの用語・概念は、戦前の日本史学界や宗教界における国家主義的主張を背景として胚胎し、戦後それを十分克服できなかった学界において、1950年代に作られました。それは政治的な背景から作られたのです。我々は、こうした用語に依拠した日本史理解(誤解)から脱却していく必要があるでしょう。
文責:曾根