史学会主催 李永植氏講演「朝鮮半島の伽耶王国と吉備王国」:2016年12月10日
就実大学史学会では、2016年12月10日(土)、S館の110周年記念館において「朝鮮半島の伽耶王国と吉備王国」と題とした公開学術講演会を開催しました。講師は、李永植(イ ヨンシク)仁済大学校歴史考古学科教授(仁済大学校博物館館長)でした。李教授は一九九一年、早稲田大学大学院(日本古代史専攻・・・論文『加耶諸国と任那日本府』により文学博士号取得)を修了され、伽耶諸国の歴史がご専門で、韓国の古代史及び伽耶王国と倭国の交流史研究の第一人者です。伽耶は、紀元前後から六五二年にかけて朝鮮半島の中南部(洛東江流域)を中心として散在していた小国家群を指し、当時の日本と最も密接な交流関係がありました。
近年、韓国の古代史研究における顕著な成果があったのが、伽耶諸国史です。『日本書記』などの文献研究とともに、発掘調査を通した考古学の研究成果によって伽耶の歴史的な復元が可能になりました。今回のご公演は、従来の研究史を踏まえながら、吉備における「カラ」、「カヤ」と「アヤ」、加耶に関わった吉備氏、任那日本府、吉備の加耶系文化、吉備臣の活動と加耶諸国、カマドと温羅伝承などについての研究成果を提示したものです。今まで吉備と伽耶の交流史は、吉備地域における伽耶文化の確認と解釈に重点が置かれていましたが、今回のご講演は伽耶地域における倭国関連の遺跡や遺物を紹介し、新しい観点から吉備と伽耶の交流史の実態を試みたものでした。
以下は、講演後回収した聴講者の「感想」の一部です。
「伽耶とは加羅から由来する言葉であることを知った。日本から近いため、日本列島が最初に意識した外国が伽耶であったことを聞き、伽耶王国に親近感を感じた。日本府は伽耶日本府と安羅日本府の二つがあり、日本府は倭の使いであって、吉備の臣は大和政権によって伽耶に派遣された使者であったという話は興味深かった。」
「講演の内容に関して、私が教科書で学んだ伽耶の歴史はとても簡略で、今日の講演で伽耶の歴史を深く、詳しく知ることができました。図と写真の紹介があって、わかりやすくてよかったです。当時は夜の宴会になると通訳がいなくても通じ合っていたのではないという[聴講者からの質問に対する李教授の]返答がとても面白いと感じました。」
「岡山と朝鮮半島に歴史的な関わりがあるというのは聞いたことがあったが、詳しく知らなかったので勉強になった。吉備氏が伽耶出身の加夜(賀陽)氏の子孫であり、外交のために伽耶に派遣されたというのが興味深かった。文化の面でも吉備と伽耶に似たところがあるというのが面白かった。特に、カマドと温羅伝説についてはもう少し詳しく聞きたかった。」
(文責:賈)